三谷幸喜監督の映画最新作「記憶にございません!」も9/13より上映開始。映画に舞台に歌舞伎にと多才ぶりを発揮する三谷幸喜とはどんな幼年期を過ごしてきたのでしょうか?
三谷監督の映画8作目となる最新作、「記憶にございません!」の例のセリフが故田中角栄氏のものではなかったことを最近知った自称ゆるい映画ライターのモグモグです。三谷監督作品といえば「THE有頂天ホテル」「ステキな金縛り」「清須会議」あたりを思い浮かべる方も多いでしょうか。映画だけではなく、テレビから舞台、ご本人も役者として出演するなど、多才な人というイメージです。どんな幼年期を過ごしていたのか気になりますよね。今日は三谷監督の人となりにクローズアップしてみたいと思います!
三谷幸喜の生い立ち 衝撃の幼年期時代と映画作品に至るまで
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1961年(昭和36年)7月8日生まれの58歳。見えないですね!若々しい!
三谷幸喜は本名で、お父さん(三谷監督が10歳の時に他界されている)の好きな力士、大鵬幸喜の名前から取って「幸喜」と名付けられたそうです。東京都世田谷区出身で、世田谷区立給田小学校、烏山中学校、世田谷学園高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業と、高校までは世田谷区内で過ごされていたのですねー。少年時代に所属していたサッカークラブではとんねるずの木梨憲武もいたそうです。
お父さんはクラブ経営をしていましたが、お父さんが他界された後もお母さんがフィリピンパブや喫茶店を経営するなど、三谷少年は裕福な幼少期を過ごしていたようです。三谷家の一人っ子でバイオリンを習っていたり、海外旅行に行くなど、当時としてはリッチな家庭だったことを思わせます。
三谷少年は子供の頃からテレビが大好きで、実家では当時のテレビがまだ残っているとか!当時テレビで放映される洋画も好きで、洋画マニアなのだそうです。また、歴史マニアでもあり、中学生の時には、同級生が歴史の教科書の人物写真に似ていると思うと、彼に写真と同じような着物を着せて写真を撮り、以来、友達をモデルに幕末の志士のコスプレ写真をとり続けたというエピソードがあるそうです。
歴史マニアが影響していると思われる「ステキな金縛り」と「清須会議」
落ち武者・・・w
豪華な俳優陣ですねー
三谷幸喜の多才ぶり 脚本執筆から劇団創立、そして舞台へ
一時期、三谷監督が子供時代に書いた脚本が秀逸すぎてヤバい!と話題に上ったこともあるようです。一番初めに脚本に触れたのは小学4年生の時だそう。クリスマス会での劇の脚本が初めての作品だそうです。小学校の謝恩会でも時代劇を書いて演じているそう。歴史マニアの顔がここでもw
中学生では「そして誰もいなくなりかけた」(パロディの題材が大人っぽい!)という推理サスペンスタッチの脚本を執筆。彼がテレビ、映画、本といった物語や演出の楽しさを小さいころから楽しんでいる姿が目に浮かびます。この後も8ミリカメラに目覚め、高校では映画を撮影したり、大学では劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。劇団と並行して放送作家の仕事もするようになったそうです。途中でくじけず、投げ出さず、あきらめず、やり続けた行動力と意思がすごいと思います。
きっと、お母さんに愛され、自己肯定感が高い人なのだろうと思います。
三谷幸喜の元嫁、そして再婚後の嫁、子供
女優の小林聡美さんと結婚されていたのは有名ですよね。
小林聡美といえば、1982年(昭和57年)大林宣彦監督尾道三部作の「転校生」。主演の小林聡美も尾身としのりも無名の役者だったそうです。この時に彼女は17歳。胸を出す大胆な演技をモグモグは今も憶えています。ちなみにデビュー作は中学2年生の時の「3年B組金八先生」だそう!なつかしすぎるーー!!
三谷監督とお似合いだなと思っていましたが、飼っていた猫が亡くなったのが理由で離婚になったというのは本当なのでしょうか・・・
2013年に19歳年下の元女優のyuma(中山佳織)と再婚。2014年には男の子が生まれたそうです。
yumaの写真で調べると、堀内敬子さんの写真が上がってくるのなんでだろ?w
「THE有頂天ホテル」にも出演しているけど・・
yumaは辻仁成の初監督作品「先年旅人」にユマ役でデビュー。その後も同監督の「ほとけ」でやはりユマ役で出演。その後芸能界は引退しているようですね。
三谷監督が歳をとってからのお子さんですしね、溺愛している様子が目に浮かびますよね!